先日、ある人と話をしていて、今のキャリアコンサルタントを探究する以前のお仕事の「営業マンは、どうだったんですか?」と聞かれて、久しぶり
思い出してみました。
大学を卒業してから約28年営業職で、あらゆるルート(百貨店・専門店・ベビールート・ホテルなど異業種)を経験。最初は専門店のエリア・セー
ルス。和歌山、大阪、四国、静岡と約13年を担当。今から36年前です。その時に、思い出されるのは「得意先様の社長や奥様から、いつも名前
が上がるセールスと、社内で担当されていたと聞くが、一度も名前が上がらないセールスがいること」で、不思議に思ったことは、担当していた年数
とは関係がないことでした。当然長く担当した方が、思い出深いと思うのですが、どうもそうではない。数年担当しても覚えていないと言われる営業
マンと、むしろ1年しか担当していないのに、やたら名前があがる営業マン、いわゆる”記憶に残る営業マン”の差は何なのか?…
いつしか大学出たての私にとっての仕事のテーマになりました。
実は、私は入社して10年くらいは、営業企画室、戦略室に行って、企画を立案することが夢だったので、毎年希望を出していたのだが叶わず。
自身は営業には向かないと思って仕事をしていました。それでも単細胞の自分は、手前にある仕事をこなす、もしくは毎月の売上・利益予算を達成す
ることに注力を注いでいました。売上・利益予算を達成するためには、得意先様の仕入高を昨年よりも100数%UPすることが目標なので、得意先様
にどうすれば、仕入れたもらえるかを考えないといけない。でも、まだ店舗運営について、売上を上げるにはどうすればいいか、またどう売り込めば
いいかわからずに悩みました。最初は、社内の先輩のマネやライバル会社の営業マンのマネなどから入りました。でも、マネと言っても「口先」だけ
だったように思います!それでも時代が後押しをしてくれました。それは、その数年後に日本経済はバブル期を迎えるからです。
また、ベテランの先輩から、「新人は背伸びしても、得意先様の社長や奥様には叶わない。だから胸に飛び込め!」と言われましたが、正直その意味
を理解したのは、それから何年か後のことです。
ただ若さがあるとばかり、体力と熱意でぶつかっていきました。気づくと初めて担当させていただいた和歌山エリアを2年で終了。大阪エリアに替わ
ることになりました。その時に、得意先様の皆さまから「最初はどうなるかと思ったが、よう頑張ってくれたな!淋しくなるなあ…」と言っていただ
けました。
その後、会社の展示会のお越しの際や年賀状の交換など数十年に渡ってお付き合いをいただき、本当に社会人のイロハを教えていただけて感謝です。
気づけば記憶に残る営業マンに、少しは慣れたかなと感じました。
私が営業をしていた会社は、「三方よし」(売り手よし・買い手よし・世間よし)という考え方があります。
先輩の教えの”胸に飛び込め”ば、気づかないうちに、売上・利益ということよりも、得意先にどう役立つかを考えて一生懸命の毎日だったと述懐いた
します。”何のために働くか?”の違いが、忘れ去られる営業マンか記憶に残る営業マンになるかを知りました。
ただ、会社の社是は”誠実・親切・共栄”なので、これから働く上で、この共栄がないと、得意先様のためにだけではダメであることもその後、知る
ことにあります。(次回、書きますね)
ちなみにオーストラリアの娘(当時25才)が、何かを描いていたので覗けば、私の写真に落書きをしていました。記憶に残る出来事でした。
「小学生かーい!」