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人物評ほど当てにならないものはない?
20250526 vol.22 10WILL代表 丹原 今年は、毎週月曜日にブログを掲載して参ります。
司馬遼太郎先生の小説の中で、「人の人物評ほど、当てにならないものはない」と書かれておりましたが、確かにそれを最近キャリコンとして、人に
関わるほどに感じる毎日です。「キャリア相談」やキャリアコンサルタント試験の受験生に関わるほどにそれを感じます。
自身もそうですが、人には自我があり、自身の見える世界がすべてで、自身の価値観を物差しに判断していることが多いと感じます。「当たり前じゃ
ないか」とおっしゃられるお声が届いてきそうですが、以外と人はその事実を忘れている言動をしている場面に出くわすことがあります。また、何か
の事柄や事象は、モノの見え方・捉え方の角度によって、違った解釈が出来ますし、その人の価値観を通して捉えると、まったく違った解釈になりま
す。
例えば、Aさんという人物についてBさんに聞くと、「あんな素晴らしい人はいない!」と言われ、またCさんに聞くと「あいつは、ろくでもない奴
だ!」と言う。いったいどっちが本当にAさんのか?特に、有名になればなるほど、話にも尾ひれはひれが付いて、もうその人に人物はわからない状況
だと思います。ということは、人の自分物評価は当てにできず、自身で接して、自身がどう思うかが一番大事であるということになりますね。
ただ最近はそれ自体も私自身に変化が生じて、(もうすぐ60歳を迎えるにあたり)「耳に従う」部分も兼ね備えねばと考える次第です。
それは、毎度毎度、記載していますが、「中庸」で物事を捉えるように心掛けることで、自身の目・他の人の目(多いほどいい)から、客観的に人物
を捉えたり、物事を捉えたりすることに努めています。
私もそうですが、人はいい面も悪い面もあり、その時々で、その面がよくも悪くもなると思います。いつも、受験生講座で、「神経質で細かい性格」
とあまりいい意味で言われていない人も、ある作業や業務によっては、その性格が「繊細で、きめ細かい」と称賛されるわけです。だから、自信がな
いとおっしゃる方も、考え方や現在の環境を変えると、輝くこともいっぱいある。これを「リフレーミング」と言って、捉えるフレーム(枠組み)を
変えてみることによって、モノの見方・捉え方が変わるということです。
また人物評の話に戻りますが、人は歳月とともに変化するもの。
Aさんが、何年経っても同じ考え方かというと、これもわからないものです。本質的なことが変わらなくても、自身の欠点に気づき、抑えることによっ
て、人の評価も変わることでしょう。
ということで、いつものお話のアンコンシャス・バイアス(思い込み)で、人と接する自身の器の小ささを嘆いて、広い視座で物事を捉えていくよう
今日も自戒いたします。